野良猫の飼い主
 
わがまま。強引。傲慢。無遠慮。あぁ、さすが皇子さま!
 

 
 
 
 
 
白の壁に、同色の床。主張し過ぎない程度に家具や小物にちりばめられた金の色。上品で豪華なその部屋の中で、ただそれだけがイレギュラーだった。真綿色したベッドの上で、背中を曲げ、折った膝を抱え込んで丸まる、ロイド・アズブルンド、彼だけが。靴のままベッドに上がったのか、真白なシーツに泥の靴跡が点々としていた。外されていない眼鏡の向こうの瞳は、まだ陽が頂点を軽く過ぎた頃だというのに閉じられて、呼吸のために薄く開かれた唇は、静かな寝息を零している。その身に纏った服もまた、この空間と同じ白色であったが、それは彼の趣味とも言える仕事柄、薄汚れていて、やはりこの部屋とは不釣り合いである。さらにぐるりと丸めた身体のせいで、彼はまるで金持ちの家に迷いこんだ野良猫のようだった。
 
だがしかし、彼は室内に踏み入ることを許された、立派な客人である。この部屋の主が、ロイドを呼び出したのだ。それは誘いではなく、命令であった。それに逆らうと面倒なことになると、ロイドは経験上知っていたので、嫌々ながらこの場を訪れたのだ。けれど呼び出した本人が留守。最初はそれでも、彼なりにおとなしく待っていたのだが、いつまで経っても当人は現れない。とうとう待ちくたびれたロイドは、不貞寝を決行した。ベッドを汚したのは、待たされたことへの、そして何より大好きな研究を中断させられたことへの、かわいいかわいい小さな仕返しでもあった。
 
それならば帰ってしまえばよいではないか、と何も知らぬ第三者が見れば思っただろう。しかし、待ち人は、おまえがいなかったのが悪いのだ、というのが通じない相手なのである。それどころか、呼び出しておいてそこにいなかった己が悪いというのに、なぜ待っていなかった、と逆に怒り出すだろう、きっと。そういうわけでロイドは、そこにとどまることを与儀なくされたのである。
 
 
 
額や頬を何かがをかすめる感覚に、ロイドはわずかみじろぐ。もう目覚めがすぐそこに迫っているためか、不快そうに眉が顰められたが、目は未だ固く閉じられたままで、それに気分を悪くしたのか、ロイドの髪を撫でていた指先の主は、彼がそうされるのを嫌っていると知っていて、耳元へ唇を寄せ、囁いた。
 
「ロイド、」
 
わざと甘さを含ませたその声に、ロイドは目を見開くと飛び起きて、鳥肌がたったのだろうか、腕を擦りながら、あからさまに気色悪いとでも言いたげな表情で相手を睨み付けた。そんなふうにロイドが覚醒したのは、もう陽が落ちたあとのことだった。
 
「何故待っていられなかった?」
「ハァ?…待ってたじゃないですか、こうしてちゃんと」
「寝ていただろう、今の今まで」
 
ほぼ予想したとおりのシュナイゼルの反応に、ロイドは呆れて閉口した。ロイドの興味を引くものなどほとんど何もない―――あったとしても、本ならば読み尽くしたあとであるし、音楽・映像ソフトならば聞き、見尽くしたあとである―――そんな部屋で、何もせずにただぼぅっと座って待っていなければ、満足できないというのか。
 
「それはそれはどうもすみませんでしたぁ、シュナイゼル殿下?」
「…随分嫌味な言い方をするものだな、そんなに私が好きか?」
 
形だけ頭を下げて、棒読みで詫びたロイドの頬へ手を伸ばしながら、シュナイゼルが言う。一瞬きょとんとして、ぱちぱちと瞬きを繰り返したロイドだったが、すぐにその言葉の意味を理解して、ひどく面白そうに言った。
 
「違うでしょう、それは」
 
その意味がわからなかったらしい、眉を顰めたシュナイゼルの首に腕を巻きつけながら、ロイドがにやりと笑う。
 
「アナタが勝手に、好きになったんでしょう、僕のコト」
 
けれど野良猫は男にキスをする。幼い幼い、小さなキスを。男は苦笑して、仕方なく 違いない、と呟いた。そうして満足げに目を細める野良猫を強く抱きしめて、今度は男から、炎のようなくちづけを落とした。