紅の侵食
 
おわりの、はじまり。
 

 
 
 
 
 
刹那は、全てを見ていた。
 
彼の身体を弾丸が貫いていくのも、血が床を染めるのも、そこに彼が倒れこんだのも、…撃ったのが、誰なのかも。
 
刹那は、全てを見ていた。
 
観測霊の突きつけた現実を受け止め切れなかった幼い心に感情が駆け巡り、思考回路を焼き尽くして、今はそうすべきときではないという脳の命令に、身体が背く。
 
「刹那!?」
 
気づいたときには、車を飛び出し、走り出していた。名を叫ぶアレルヤの声を遠くに聞いた。…ティエリアたちがその車へ脱出してくる、ほんの数十秒前のことだった。
 
 
 
 
 
幸い、観測霊を潰されることはなく、刹那はそれによってロックオンの状態を見ることができた。ロックオンは地下三階のコンピュータルームから二階の物置のような部屋へ移されていた。部屋の中は暗闇でくわしくはわからないが、まだ、生きている。けれど、相手は彼を殺すつもりだ。
 
ロックオンを撃ったのは、あの日、この組織から二人で逃げ出したあの日、彼に“死ぬか戻るか”と問うた男だった。ロックオンに戻る気がないのはもう十分わかっているはずだから、それなら、きっと。―――彼は、殺される。
 
そんなことさせるものか、と刹那は唇を噛み締め、建物内へ足を踏み入れた。刹那にとっての幸運は、そこにもう一つあった。警報機が発動して間もないからか、警備の位置が大幅にずれていたことである。手薄になっている場所を選び、通り抜けることができたのだ。
 
いっそわざとらしいほどに、刹那の目の前には敵が現れなかった。…そう、本当に、わざわざ避けてくれているかのように。
 
 
 
「ロックオン!」
 
叫びながら刹那は暗闇の中へ飛び込んだ。…返事は、なかった。それでも観測霊を頼りにして彼を見つけ出し、その傍らに膝を折った。床は埃っぽく、やはり普段は使われていない部屋のようだった。そこに、彼は倒れこんでいた。
 
「ロックオン…?」
 
暗闇の中で、刹那は不安そうにその名を呼ぶ。込み上げてくる恐怖に耐え切れなくなり、ロックオンの腕を掴もうと手を伸ばすと。
 
「………!」
 
濡れた感触に、刹那は思わず手を引いた。硬いベルトのようなものに触れたから、恐らく、腹部。あぁ、撃たれたところだと、思った。
 
「ロックオン…ッ」
 
凍るかと思うほど、すぅっと身体の熱が冷めていくのがわかった。撃たれた瞬間を見ていたというのに、混乱が刹那の心身を侵食し、冷静な判断ができない状態にまで落ちていく。逃げないと、ここから、逃げないと。その考えだけが、頭の中をぐるぐると回る。しっかりしろ、と自分を叱咤して、再びロックオンへ手を伸ばした。
 
けれど、―――そのとき。
 
「―――――ッ!」
 
凄まじい爆音が響き、暗闇が一瞬にしてなぎ払われる。それとほぼ同時に、刹那は床へ叩きつけられた。その小さな身体をきつく抱きしめて、降ってくる窓硝子の欠片たちから守ったのは、他の誰でもない、ロックオンだった。
 
「ロッ…ク…、」
 
呼ぶ声は途切れて、もう名の形にすらならなかった。燃え盛る炎を背景に、ゆらりと立ち上がったロックオンは、きっと青ざめた顔をしていただろうと思う。けれど、その青を覆い隠すほどに強く赤く、炎は燃え上がっていた。
 
「…刹那、」
 
その掠れた声で刹那は、はっと我に返り、どうにかしてここから二人で逃げなければ、と硝子の散らばる床に立とうとした。しかし、完全に立ち上がる前に、刹那の身体はぐらりと、傾いた。
 
「…え…?」
 
とんっ、とロックオンによってもたらされた小さな衝撃は、立ち上がるため不安定な体勢になっていた刹那が割れた窓の向こうへ押し出されるのに、十分過ぎる力だった。
 
空を落ちる中、見開かれた刹那の瞳に最後まで映っていたのは、赤に侵されていく、薄く笑んだままの、ロックオンの姿だった。
 
 
 
 
 
気がつくと、刹那は白の中にいた。蛍光灯の光が刹那の目を焼くように輝き、思わず開いたばかりの目を閉じた。その暗闇の中で、目覚めたばかりで霞んでいた脳に、少しずつ、現実が流れ込んでくる。
 
帰って、きたのだ。ここは多分医務室だろう。以前にきたことがある。白い、白い空間。あぁ、そういえばあの赤は―――…。
 
「………ッ」
 
意識が途切れる前の、一番最後の記憶を思い出して、刹那は勢いのまま駆け巡る痛みに耐えて起き上がる。すると、気配に気づいたのか、ベッドの周囲を囲っていたカーテンが開き、ティエリアが現れた。
 
「刹那?…起きたのか、」
「ティ…エリア、…ロックオンは、…」
 
聞かずにはいられなかった。ある程度、全てを予想しながら、それでもそれを否定して欲しくて。…けれど。
 
「…ここには、いない」
 
刹那から目を逸らし、ティエリアは小さく言った。瞬間、刹那の瞳が、痛々しく見開かれる。その言葉が何を意味するのか、わからないほど刹那は幼くなかった。むしろ今は、それすら理解できない子供であったほうが、しあわせだったかもしれない。
 
ティエリアは戸惑うように指先を彷徨わせたあと、極力優しく刹那を抱き締めた。けれど刹那にはティエリアが見えていなかった。もう、何も見えていなかった。
 
ただ、ただロックオンをのみこんだ赤色だけが、視界にちらついて消えてくれなかった。