人形の世界
 
人間と契約者と人形の、優しい混沌。
 

 
 
 
 
 
着いた先は、どこかのビルの廊下のようだった。
 
窓の外を見やれば、そこには借りたアパートから見える景色と大して変わらない、建物の大群。それは、それほど遠い場所に連れてこられたわけではないということを示していた。
 
「着いてきてください」
 
アレルヤにそう言われ、ロックオンは視線を前へ戻すと、素直にそれに従った。懐かしげに辺りを見回していた刹那も、ロックオンの後に続いた。
 
 
 
奥へ奥へと歩いていくと、等間隔に続いていたドアがぱたりと途切れ、不自然な隙間を残した行き止まりに辿り着いた。三人が立ち止まる中、アレルヤが一歩前へ進み出て、正面の壁に手を当てる。すると、ピピッという小さな電子音のあと、ただの壁だったはずのそこに新たな扉が現れた。
 
そのドアをアレルヤたちに続いて潜り抜けながら、ロックオンは感心したように小さく息を吐く。どうやら、こういった面は“組織”に勝っているようだ。
 
先ほどのようなドアが並ぶ廊下を進み、今度はその途中のひとつの前でアレルヤが止まる。その扉を開け、アレルヤは中の人物に声をかけた。
 
「スメラギさん、」
「あら…きたのね、どうぞ、入って」
 
スメラギ、と呼ばれたのは、まだ若い女性だった。赤い髪は背中を覆うほど長く、その白い手にはグラスが握られていた。傍らにあるビンからすると、その中身は酒だろう。
 
部屋の中はまるで会社の一室のようで、仕事をしているのか真剣な様子で男女五人が五つ並べられた机に噛り付いていた。
 
「またこんな時間から…」
「大丈夫よ、一杯しか飲んでないわ、それで…その人が?」
「はい、例の“ロックオン”です」
「噂には聞いてたけど…ホントに若いのねー」
 
頭から爪先まで眺め回し、スメラギは少々驚いたように言った。噂はあくまで噂、それが真実だとは思っていなかったようだ。
 
「正直予想外だったのよ、あなたがあそこを抜けようとするなんて」
「はぁ…」
「おかげで計画が台無しになったけど…まぁ結果オーライね」
 
スメラギの話を少し流し気味で聞いていたロックオンだったが、その言葉は少し引っかかった。先ほど、ティエリアの口からも出た言葉。自分のせいで駄目になったというそれは、一体何だったのだろう。
 
「あの、…計画って…?」
 
思わずそう聞いてしまったロックオンに、スメラギは小さく笑った。そして一度刹那に目線を移し、その後再びロックオンへ目線を戻して、言った。
 
「刹那をさらってくる計画よ、題して刹那誘拐計画」
「誘、拐…?」
「だって、無理矢理連れてかれちゃったんだもの」
 
冗談のように聞こえるが、どうやら事実らしい。聞けば、どこから漏れたのか刹那の存在を知った組織が、刹那を買う契約を結びにきたらしい。それをきっぱり断ったところ、刹那が買い物中でひとりだったところを狙われ、連れ去られたのだという。
 
「そう、ですか…じゃあ本当に俺余計なことしちゃいましたね」
「いいのよいいのよ、刹那のパートナーになったのがあなたでよかったわ」
 
軽い調子で言い、小さな声でスメラギは続けた。
 
「遅かれ早かれ、あなたもここにくることになってたでしょうし」
「え?」
「何でもないわ、…じゃあみんな、自己紹介して」
 
スメラギの呟きはロックオンには聞こえなかったらしい。不思議そうに聞き返したロックオンに笑みを返して、スメラギは後ろを振り向いて、机に向かっていた五人に話しかけた。すると。
 
「はいはーい!私、クリスティナ・シエラです!この子はフェルト!」
 
この瞬間を待っていたのか、がたんっと勢いよく女性が立ち上がり、叫ぶように言う。そして隣の席の女子を無理矢理立たせると、その子の紹介まで済ませてしまった。
 
「リヒテンダールです、」
「ラッセだ、よろしく」
「イアン・ヴァスティ、…騒がしくて悪いな」
 
続いて、男性三人が苦笑しつつ言う。それにロックオンも、苦笑いしか返せなかった。
 
こんなふうにひとと触れ合うのは本当に久しぶりで、正直どうしたらいいのか戸惑っていた。あたたかさを感じると同時に、落ち着かなくなる。
 
「ロックオンです、よろしく…お願いします」
 
何とか平静を装って、そう答えたけれど、上手く表情が作れたか、上手く声色が作れたか、わからなかった。こんなことは、はじめてだった。自分が、自分の思い通りにならないなんて。
 
このまま狂い続けたら、一体どうなってしまうのだろう、と。一筋の不安が、生まれたばかりの心を走り抜けた。