ロックオンが刹那と出逢って、もう一ヶ月が過ぎようとしていた。あれから何度も任務をこなし、二人の信頼関係も少しずつ出来上がっていった。上の人間は彼らに期待を寄せ、必ず二人はそれに応えるだろうと確信していた。 しかしその頃にはもう、ロックオンは上手く人を殺せなくなっていた。 「…痛むか?」 「いや、…平気だ」 刹那の首に巻かれた白い包帯に指先を滑らせて、ロックオンが問う。刹那は軽く首を横に振りながら答える。痛み止めが効いているのだろうか、その様子から本当に痛みはないのだと判断して、ロックオンは安心したように軽く息を吐く。 「ごめんな、俺のせいだ」 刹那はふるふると横に首を振って、それは違うという意思を伝える。けれどロックオンはそれを否定するように苦笑して、静かに語り始めた。 「ここにいる限り、俺は殺し続けなきゃいけない」 「…嫌でも?」 「そうだ、上の命令は絶対だ…それに、」 「…それ、に…?」 「俺が殺すのを躊躇ってたら、今日みたいにおまえが傷つく…」 刹那の首の怪我は今日、任務中に敵に切られたものだ。媒体が空気である刹那は、媒体の傍で待機するのではなく、ロックオンと共に敵の目につく危険な場所にいた。それでも少し前まではロックオンは短時間で敵を黙らせるので、刹那が狙われたことはなかったのだ。 しかしロックオンは“組織のための殺人鬼”として、限界を迎えていた。感情が力を勝手に制御して、敵であっても死なないようにと手加減してしまう。弱っただけでまだ息のある敵は、倒せないであろうロックオンより、無防備なその向こうへ目を向ける。―――そうして刃は、刹那へ向けられた。 「…別に、死んだって、いい…俺の代わりは、いくらでも、…」 言いながら、何かがおかしいのを刹那は感じていた。死にたくないと声を上げる何かが、自分の中にいる気がして、言葉を最後まで言い切ることができなかった。 「おまえが死んだら、俺も一緒に死んでやる」 額と額をこつりとぶつけ合ってロックオンは言い、笑みながら目を閉じた。だからその瞬間、刹那が泣きそうに顔を歪めたのに、気づかなかった。 「…嬉しく、ない」 けれど震える声はとても的確に、刹那の心情をロックオンに伝えてしまう。ロックオンは刹那の顔が見えないように小さな身体を抱きしめて、言った。 「でも、死ぬつもりも死なせるつもりもない」 「………?」 「今日のことで、やっと決心がついた」 そう言って刹那の身体を離すと、ロックオンはひどく真面目な表情で刹那を見つめた。ロックオンの鋭い眼光が瞳を貫いて、刹那はそこから目を離せなくなる。 「生きて、ふたりで、ここを出よう」 衝撃に刹那の目が見開かれる。できるのだろうか、本当に、そんなことが。組織から逃げ出すなんて、そんな、ことが。…無理だと脳が告げる。組織に仕える契約者は何人でもいるのだ。ロックオンがいくら強くても、危険過ぎる。 そう思うのに、それなのに。 押し寄せる感情の波に逆らえず、刹那は弱々しくこくりと頷いた。滲む視界の中に、ロックオンだけがいた。 世界が夜に沈む頃を待って、ふたりは部屋を出た。すぐに組織が気づいて動き出すであろうことはわかっていたので、ロックオンの力を使い、できるだけ遠くへ行こうと闇の中を駆け抜ける。 予想通り、もう少しで組織の敷地内から抜け出せる、というところで刹那がばっと後ろを振り向く。飛ばしておいた観測霊が何かを捉えたようだ。 「きた…っ」 その言葉の通り、後方に契約者が能力を使うときに放つ青白い光―――ランセルノプト放射光が幾つも見えた。 直後、飛んでくる氷や石の刃を空気の流れを使って受け流しながら、ロックオンは刹那を自分の後ろへ隠すように匿う。攻撃はいつまでも止むことなく、その間に見知った顔の人間が現れる。 「契約者らしくない行動だな、おまえはもう少し頭が良いかと思っていたが」 罵るような言葉に、ロックオンは何も答えなかった。ただ、男を見返すその瞳は恐ろしいほど鋭かった。その様子に男は諦めたように溜息を吐いた。 「今ならまだ許してやろう、戻ってくるか、…死ぬかだ」 ロックオンを殺せるという自信をのぞかせながら、男は言う。恐らく、契約者を何人も待機させているのだろう。契約者とドール、たった二人をそうまでしなければ捕まえられない。いや、そこまでしても捕まえられない。ロックオンは今まで彼らに従っていたことがとても馬鹿らしく思えて、こみ上げる可笑しさを噛み殺した。それでも漏れてしまう笑い声に怪訝そうな顔をした男をもう一度見て、ロックオンはにやりと笑ってやった。 「どっちもお断りだね」 瞬間、ロックオンの瞳孔は赤く染まる。巻き起こる強風に視界を奪われ、皆が翻弄される。それでも誰一人として、痛みを感じることはなかった。 そうしてふたりは、暗色に消え失せた。 |