「刹那、とりあえず水飲め、水」 「ぅ…っ…ん、」 刹那は差し出された水の入ったグラスを何とか手にすると、言われた通りに少しずつ口に含んでいく。 未だロックオンの纏う雰囲気は鋭く、怒りは静まっていないようだったが、刹那に対しては“いつものロックオン”を演じ切っていた。 何故そんなふうになっているかというと、怒りの原因は、酒、である。酒に巻き込まれないように、とフェルトと二人で別部屋に隔離されていた刹那が、いつの間にかアルコールによって豹変していたのだ。 刹那もフェルトも、ロックオンの代わりに二人の様子を見ていたイアンが少し席を外すまでは眠っていたようだし、刹那が自分で酒に手を出すとは思えない。だとしたら、飲ませた犯人がいるということだ。 そのことにロックオンは静かに激怒していた。そのまま他の出演者が楽しく打ち上げしているであろう残りの三部屋へ乗り込んでいきそうだったくらいだ。 「少しは落ち着いたか?」 ロックオンの声に、刹那はこくりと頷く。その瞳はゆらゆらと揺らいでいて、もう少しで閉じてしまいそうだった。アルコールが入ったことと泣いたことで眠気が増してしまったのだろう。 「眠いなら、寝てもいいぞ?」 刹那の身体はその言葉に素直に従って、ぱたりとロックオンのほうへ倒れこんだ。黒髪を優しく撫でて微笑むロックオンは、先ほど低い声で怒りを露にした恐ろしい人物とは別人のようだった。あぁ、きっともうあまり怒っていないのだ、と周りの者は安心しかけたのだが。 「すみません、刹那、見ていてもらえますか」 彼の怒りは全く消えておらず、犯人を捜しに行く気満々、だった。 あんな状態のロックオンに捜索をさせたら犯人に何をするかわからない、と必死でロックオンを説得し、代わりにソレスタルビーイング成人組のスメラギ、クリスティナ、リヒテンダール、アレルヤ、ティエリアの五人が犯人を捜すことになってしまった。 成人組とは言っても、「00」内では若手に入る年齢の者が多く、当然他の出演者は先輩が多い。そんなひとたちに疑いをかけるなんて―――。そのことによる緊張と、ロックオンへの恐怖に板ばさみにされ、皆の心はひとつだった。 逃げられるものなら、逃げてしまいたい。 けれども結局、優しい彼女らは、犯人捜しをするため、他の三部屋のドアを叩くのだった。 一部屋目。容疑者その一、その二。ビリー・カタギリ、グラハム・エーカー。 「え?ずっとここにいたよ、このヒトが離してくれないから、動けなかったし」 潰れて熟睡しちゃって…何をしても起きないんだ。苦笑して答えるビリーの腕には、言うとおり、確かにグラハムの手が絡みついていて、移動できる状態ではないようだった。 二部屋目。容疑者その三、その四。沙慈・クロスロード、ルイス・ハレヴィ。 「お酒?無理だよ、僕だって未成年で、飲ませてもらってないんだから」 沙慈の言葉に、ルイスが強く頷く。ここは、年齢的に酒の飲めない者や、体質的に酒の飲めない者が集まった部屋らしい。部屋には酒の存在そのものがなかった。 三部屋目。容疑者その五。リボンズ・アルマーク。 「やっていませんよ、僕は、ね」 僕がそんなことをする意味や、メリットはありますか?…そう問われて、考える。確かに、意味はない。未成年に酒を飲ませたことが知れたら、ちょっとしたスキャンダルだ。メリットも、ない。 「そうなのよね…」 結局犯人を見つけることができず、三部屋目を出て廊下を歩く途中で、クリスティナがぼそりと呟いた。 「刹那にお酒飲ませて、犯人は何がしたかったの?」 何か目的があって、酒を飲ませることでそれが果たせるということならわかる。けれど、刹那はただ酒を飲まされただけだ。ただ、それだけだ。 「…そう、ね…見てわからないだけで、刹那、何かされたのかしら…」 「でもイアンさんが部屋を離れたのって、ほんのちょっとの間ですよね」 スメラギがクリスティナの言葉に頷く。そんな少しの時間で何をするというのだろう。女性陣が唸り、考え込む中、リヒテンダールが明るく言った。 「なーんにも考えてなかったんじゃないですか、犯人」 そうすることの意味も結果も考えず、ただただノリと勢いで、今日この浮かれた雰囲気に呑まれてしまっただけのことだったのではないか、と。 「何にも…考えず…」 「ノリと、勢い…」 今まで無言でいたアレルヤとティエリアが顔を見合わせる。…いた。お祭りごとが大好きで、何かと騒がしく、色々一般人とはズレていて、スキャンダルなんて怖くない、人物。そして、出演者の中で、唯一三部屋の中にいなかった、人物。 「…アレハンドロ…コーナー…!」 二人仲良く声を揃えて、一つの可能性に辿りついたそのとき。ロックオンが見守る中、刹那とフェルトが眠る部屋には。 「おや、君だけかい?」 その、アレハンドロ・コーナーが、訪れていた。 「あ、はい、お疲れ様です、どうしたんですか、今日不参加だったんじゃ…」 まだ彼が一番犯人に近い人物であると知らないロックオンは、普段どおり穏やかに受け答えしていた。そこに。 「ロックオン?あのね、犯人―――…あ、」 クリスティナが先頭を切って、冷静を装いながら部屋へと戻ってきた。さすが役者。動揺を隠し切り、申し訳なさそうな表情まで作っていた。そのまま、犯人は見つからなかったと告げれば全てが丸く収まるはずだった。 しかし、途中で言葉は途切れ、演技の顔は剥がれ落ちた。そこに予想外の人物、アレハンドロがいたからだ。思わずアレハンドロの顔を見て硬直してしまい、あぁ、駄目だ、とクリスティナ本人を含め、犯人捜索に向かった五人が思った。 「もしかして…あなたが、」 そんなふうにわかりやすい態度をとってしまえば、元来勘のいいロックオンが気づかぬはずがない。今までの穏やかさを捨て去り、すっ、と目を細め、冷たい声でアレハンドロに言う。 「?…何の話―――…」 「ロックオン、可能性があるってだけで、決まったわけじゃないんだよ?」 「疑わしきは罰せず、と言うだろう、今回は証拠不十分で無罪だ」 話を進めてしまいそうなアレハンドロの言葉を切るように、アレルヤとティエリアが割り入る。けれどロックオンは全く止まろうとしない。 「それなら、刹那に酒を飲ませた、と認めさせればいい」 「自白強要なんてもっと駄目よ!このひとスポンサーもやってるんだから!」 嫌われてお金出してもらえなくなったらどうするの!この作品、いろいろとお金かかるのよ!スメラギが必死で呼びかける。さすがにドラマが撮れなくなるのは嫌なのか、ロックオンの目線がスメラギに向く。このまま止まってくれるか、と皆が期待したのだが。 「あぁ!あの酒か、我が社の新商品だ」 女性を狙って甘めに作ったのだと、場の空気を読まず、アレハンドロが笑みさえも浮かべて、言った。 終わった。全員が思った。怒りで熱くなっていてもさすがに暴力はふるわないだろうと傍観者となる覚悟を決め、スメラギはロックオンの腕を掴む手を離した。 「…ろっく、おん…?」 そのとき。騒がしさに起きてしまったのか、ぽつりと刹那の声が落ちて、静寂を生み出した。 「どうした?」 対刹那のため、恐ろしいほど素早く普段の自分へと切り替えて、ロックオンは心配そうに刹那に問いかける。 「帰…」 「帰?」 「帰りたい…なー…」 刹那は、ぼーっとしたまま、ほわほわとした口調で告げる。その言葉は恐らく、連れて帰ってくれという意味ではなく、ただ己の願望を口にしただけだったのだろうが、…ロックオンの行動は早かった。 「刹那送ってそのまま帰ります、…お疲れ様でした」 軽々と刹那を抱え上げ、ロックオンはドアの向こう、部屋の外へと消えた。 嵐が去り、五人は揃って長い長い溜息を吐く。けれど、最悪の事態を避けられたことは喜ぶべきなのかもしれない。 今回彼らを救ったのは、被害者であり、問題の種でもあった少年の、たったひとことだった。 |