dependence
 
“全て”が欲しいわけじゃない。一欠片でいい。
 

 
 
 
 
 
刹那にとって、エクシアは彼の全てだった。願いのための道具であり、守るための武器であり、彼の中でそれは至上の存在だった。何より強く、何より素晴らしい、刹那の夢の形。
 
それは、酷く危険な思いだった。少なくともロックオンは刹那がエクシアに依存し過ぎることを危惧していた。もしもエクシアが破壊されたら、もしもエクシアが奪われたら。もう「ガンダム」なら何でもいい、という段階ではないだろう。何をもエクシアの代わりになれるとは思えなかった。彼のガンダムは、エクシアだけなのだ。
 
戦場でのもしも、は簡単に現実になる。エクシアに何かあったそのとき、最悪の事態が起こりかねない。それが、ロックオンの考えだった。
 
だからと言って、その最悪を避けるために彼からエクシアを引き離す、なんてことはできるはずかなかった。刹那はマイスターなのだ。戦わなければならない。エクシアに乗らなければならないのだから。
 
悩んだ末、ロックオンは異様なほど刹那を構った。親のように、兄のように。時にはクルーたちとの交流のため、無理矢理彼を部屋から引っ張り出すこともあった。
 
彼の全てがエクシアではなくなるように。それを失っても立ち上がれるように。
 
しかしその計画なかなか上手く行かず、刹那に大した変化はなかった。そんな中で、それは起きた。
 
 
 
 
 
戦闘中の集中攻撃により、エクシアが戦闘不能状態に陥った。機体に大きな損傷を負い、刹那も意識のないままプトレマイオスへ戻ってきた。
 
その刹那よりも一足遅く帰艦したロックオンは、慌てた様子でスメラギに詰め寄った。
 
「ミス・スメラギ…ッ刹那は、」
「大丈夫よ、怪我は大したことないわ…気を失ってる間に手当てはしたし」
 
そう説明され、ほっとしたのも束の間、でも、とスメラギは続けた。
 
「やっぱり少し混乱してるみたいね、目が覚めたら暴れだしちゃって…」
「…会いに行っても?」
「いいわ、…でもあまり刺激しないであげてね」
 
その声が終わるか終わらないかのうちに、ロックオンはスメラギの横をすり抜けていった。
 
 
 
 
 
「刹那!」
 
ロックオンは仲間であり、それ以上でもある彼の名前を叫ぶように呼びながら、部屋へ飛び込んだ。そして、目の前の光景に息を呑んだ。
 
それほど狭くはない部屋の隅に、刹那はいた。光を取り戻せないでいる空ろな瞳が、ただただ虚空を見つめ、椅子に腰掛けることもせず床に座り込み、壁に頭を預けている。外傷はそれほど酷くないようだが、だらりと垂れた腕からは少しずつ血が滴り、床に点々とした赤色の模様を作っていた。きっちりと巻かれていたはずの包帯は、先ほどスメラギに聞いたように暴れたからなのだろう、解けかけて、ほとんど意味を為していなかった。
 
「………刹那、」
 
二度目のそれは絞り出すようにしなければならなかった。恐怖がロックオンの中に満ちていた。今朝も真っ直ぐにロックオンを捕らえた瞳に、輝きがないというただそれだけのことで。
 
「………っ」
 
ごくりと生唾を飲み込んで、ロックオンはゆっくりと刹那に近付いた。膝を折り、目線をできるだけ近くする。
 
「刹那」
 
反応は、なかった。瞬きすらしないのではないかと思えるほど、刹那はぴくりとも動かない。本当に、人形になってしまったようだった。
 
「…刹那、」
 
名を呼ぶ以外にどうすればいいのかわからなくて、ただただ名を繰り返すが、何度呼んでも相変わらず刹那は微動だにしない。払い落としてくれはしないかと手を伸ばして髪に触れてみても、同じだった。
 
ロックオンは顔を歪めて視線を落とす。そこに小さな血だまりを見つけて、あぁ、そういえば怪我をしていたのだと思い出す。そんなすぐ前の記憶が飛んでしまうくらい、刹那の暗い瞳が衝撃的だったのだろうか。
 
自分で自分がおかしくなってロックオンは小さく笑った。そうして今度は払われないのをいいことに、ぐしゃぐしゃと刹那の髪を掻き回すと、崩れている包帯を巻き取った。そしてもう一度、壊れ物を扱うように刹那の腕をとって、丁寧に包帯を巻き付けていく。
 
「…刹、」
「―――エクシア」
 
包帯を巻き終わり、顔を上げて、再び名を呼ぼうとしたその声は、小さな呟きに遮られた。
 
「…エクシア…エクシア…エクシア…」
 
何度も何度も刹那は最愛の機体の名を呟き続けた。先ほどロックオンがそうやって刹那を呼んだように。
 
「刹、那…」
 
涙が流れているわけではない。声に痛みが表れているわけでもない。それでもただ淡々と続けられるその声は、恐ろしいほど悲しみを感じさせた。
 
「………っ」
 
ロックオンはもう何も言えなかった。まるで縋るように刹那を引き寄せて、強く強く抱き締めた。やはり何の反応も返さない身体は、どこかひやりと冷たかった。
 
 
 
 
 
どのくらい、そうしていたかわからない。とても長かったような気もすれば、とても短かったような気もした。エクシア、エクシアと続く声は未だ止まっていなかった。
 
けれど。
 
「ロック、オン…」
 
小さく空中を震わせた声。ロックオンは身を切り裂くような衝撃に刹那の身体を解放して、その顔を見つめた。
 
何十回のうちの一回。ロックオンの名前が呼ばれたのは、たった一回だった。けれど、延々繰り返されるかと思われた刹那の呟きは、そこで終わった。
 
よく見れば空中を見つめるばかりだった瞳が、きちんとロックオンを映している。それに、そのことに、喜びが体中を駆け巡って、止まらなくなった。
 
「刹那…」
 
ロックオンがそう口にした瞬間、刹那は全身の力が抜け切ったかのように、ロックオンの胸に倒れ込んできた。そのことで我に帰ったロックオンは、できる限りの優しさでもう一度刹那を抱き締めた。
 
刹那から確かに響く心音と、静かに零れる呼吸の音に、ロックオンは安心したように大きく息を吐き出すと、ぐたりとした身体を抱き上げ、ベッドへ横たわらせた。ロックオンもベッドに腰掛け、刹那の顔を眺める。そのときには目を閉じていたため、眠ったのかと思い、部屋を出ようと立ち上がりかけた、そのとき。
 
「!」
 
ひたりと冷たい感触が、手の甲に触れた。驚いて振り返ると、刹那の指先がロックオンへと伸びていて、冷たさの正体はこれだったのだと思う。刹那は子供のような瞳で、ロックオンを見つめていた。ロックオンはもう一度腰を下ろし、思わずその手を握り返しそうになった。
 
その瞬間、はっとした。何かに執着しているという点では自分も似たようなものだと気付いてしまって、緩くまとわりつく刹那の手を外させたが、それでもロックオンはなかなか刹那から離れられなかった。その様子に満足したのか刹那は再び目を瞑り、今度こそ眠りに落ちたようだった。
 
それなのに、ロックオンは部屋から出ていくことができなかった。…重傷だ、と思う。彼の心配より自分の心配をすべきだったと。けれど、触れる手を許されることに、伸ばされた手に、言い様のない感情が湧き上がってしまった。
 
そこには確かに、幸福があった。彼が彼を呼ぶ声が、例え一番にはならなくとも。
 
それで彼は、しあわせだった。