恋スル刹那
 
意味がわからない、理解できない、何だ、これは。
 

 
 
 
 
 
スメラギが一度ロックオンと刹那を地上へ降ろすと決断したのは、昨夜のことだった。プトレマイオスにマイスターが二人もいない状態を長く続けていられるほどいい状態ではなかったので一日だけ、という約束で二人は今日地球の地を踏んでいる。しかしどちらかがそれを望んだというわけでもなかった。ならば何故、危険を冒してまでマイスターを二人も地球に降ろしたのか。その理由は、刹那にあった。
 
三日ほど前から、刹那の様子がおかしくなった。元々人付き合いを喜んでするタイプではなかったが、今まで普通に接していたはずのロックオンを、避けるようになってしまったのだ。近付けば逃げる。話しかければ逃げる。とにかく、刹那はロックオンから逃げ通しだった。それでもミッション中の応答はしっかりしていたから、ロックオンも半分からかうように逃げる刹那を追いかけていた。
 
ところが昨日、ミッション時の受け答えすら、刹那はできなくなった。もちろん、ロックオン限定で、の話だが。これにはさすがにロックオンも、スメラギも困った。機体の性能やロックオンの面倒見の良さから、ロックオンと刹那はコンビを組むことが多かった。近々実行予定だったミッションも二人で組んでもらう予定で、それを崩してしまうと計画が狂う。だが会話ができない状態では意思疎通もできず、危険度が増してしまう。それに、いつまでもこのまま、というわけにはいかないだろう。悩んだスメラギは、刹那に気分転換でもさせようと思い立った。難しい年頃だし、何か苦しんでいるのかもしれない、地球へ一旦帰そう、と。当然、目的はロックオンとの仲を修復することだから、ロックオンにもついていってもらうことになる。…ということで。
 
「明日、二人には一度地上へ降りてもらいます」
 
聞かれたのがアレルヤならば何とかなるだろうが、ティエリアに知られたら激怒されること間違いなしなので、彼がヴァーチェの整備を手伝っている隙を見計らって、スメラギはロックオンと刹那だけに、何も説明しないままそう言い放った。
 
「ちなみに任務じゃないわ、ただの休暇よ」
「そんな暇は、」
 
少し機嫌の悪そうな声と表情で言い返してくる刹那を安心させるように、スメラギは微笑む。
 
「いいのよ、楽しんで来なさい、ね?」
 
そう言いながら、スメラギの視線は刹那へ向き、次にロックオンへ向かった。その様子に、そういうことか、とロックオンは一人状況を理解して、苦笑した。
 
 
 
 
 
そんなわけで、今二人は地上にいる。スメラギの指示により、場所は経済特区東京だ。これは刹那がより落ち着けるようにという配慮である。
 
「刹那」
「………」
「刹那ー」
 
しかし相変わらず刹那はロックオンを無視していた。隣を歩くのを許してくれるだけ今までよりはいいのかもしれないが、それもスメラギの命令だからで、根本的な問題は全く解決しそうになかった。
 
会話ができないので、どこへ向かうかという確認すら取れず、ロックオンは歩き続ける刹那を追い続けるしかできない。まさか歩くだけで一日を潰すつもりか、とロックオンは考えて、まさかな、と思いつつも、それが有り得なくはないということに気づいてしまった。
 
さて、どうするかと考え始めたとき丁度ロックオンの目の端に木製のベンチが飛び込んできた。
 
「…刹那」
 
このまま好きにさせているわけにはいかないと、ロックオンは意図して真剣で重い声を出した。これにはさすがに刹那も反応し、休むことなく動かし続けていた足を止めてくれた。
 
強引に刹那の腕を掴んで、先ほど目に映ったベンチまで連れて行き、座らせる。突然のことで抵抗できなかった刹那は、大人しくされるがままになっていた。
 
そんな刹那の隣に腰を下ろして、ロックオンは今回の急な休暇の目的を果たすべく口を開いた。
 
「俺、おまえに何かしたか?」
 
その問いにも刹那は沈黙を返した。これは時間がかかると判断して、ロックオンは背凭れに身体を預ける。
 
「―――アンタは、」
 
しかしそのロックオンの予想は外れ、少しして刹那は小さく声を紡いだ。
 
「アンタは、悪くない…俺が勝手に、…おかしくなっただけで」
 
刹那の少し弱々しい声は時折途切れながらも続けられた。そうして刹那は、何かを隠すように俯いてしまう。表情が見えなくなり、ロックオンは刹那の心情を察するための材料を失ってしまった。…けれど、俯いただけでは隠せないものがあった。
 
「刹那…おまえ、顔赤くねぇか?」
「ッ!」
 
熱でもあるのかと心配して手を伸ばせば、素早くその手を払いのけられる。この様子では今日中に全てを元通りにするのは無理そうだ。
 
「あー…刹那、」
 
ロックオンはせめてミッションに支障のない程度に関係を修復しようと、慎重に言葉を選んでいく。
 
「今みたいにな、手を払うのは別にいい、でも返事くらいはしてくれるか?」
「………わかった」
「よし、」
 
優しく諭すようなロックオンの声に、刹那は戸惑う様子を見せながらも小さく言った。その顔は未だロックオンの方を見ずに俯いていたが、緩和しつつある刹那の態度に安心し、ロックオンは立ち上がった。
 
「そろそろ日が暮れるな、…帰るか?」
 
薄暗くなり始めた周りを見渡して、ロックオンはそう提案した。このまま二人でいても、刹那が辛いだけのような気がした。
 
その考えは当たりだったようで、刹那はこくりと小さく頷くと、ベンチから立ち上がってすたすたと歩き始めてしまった。ロックオンは苦笑を零して、遠くなっていく小さな背を追った。
 
 
 
 
 
数十分後。刹那が地上で使っているマンションの前に、二人の姿があった。
 
「じゃあ刹那、寝坊するなよ」
 
明日の朝一番で帰るため、予定を確認し合い、最後にロックオンはそんなふうに言って刹那に背を向けた。そして、スメラギが手配してくれたホテルへ向かおうと、歩き出したそのとき。
 
「!」
 
ぐっ、と引っ張られるような感覚にロックオンはまさかと思いながら後ろを振り返った。…その、まさかだった。
 
「…刹那、」
 
彼の上着を握り締めたまま離さない、小さなてのひらの主は、どこか余裕のない様子で俯いていた。
 
「どうした?」
 
こんなふうに誰かに頼るような行動は、普段の刹那ならば有り得ないことだ。増して、今まで刹那はロックオンを避けていたのだから、おかしいことこの上ない。どう考えても異常と言える刹那の雰囲気に、ロックオンは極力優しく問い掛けた。
 
「………ッ」
「ん?」
 
まるで幼い子供に接するようだと思ったが、ロックオンは上着を掴む刹那の手を柔らかく外し、片膝を地に着け、下から刹那を見上げるような体勢をとって刹那の返答を促した。
 
「…っすまない…」
 
今自分がしたことが信じられないというような面持ちで、刹那は一歩後退った。ぐちゃぐちゃになった心が唯一感じ取れる恥ずかしさのせいで、俯いて地を向いた顔を上げられない。
 
「どうしても言えないことか?」
「……………」
「吐き出さなくて、大丈夫か?」
 
二つ目の問いに、刹那はこくりと頷いた。吐き出すも何も、先刻己の腕を勝手に動かしたものの正体など、刹那自身にもわかっていないのだから、表現のしようがない。
 
「…そうか、」
 
言う気がないことを悟ったのか、ロックオンは立ち上がると微笑んで刹那の頭に大きなてのひらを載せた。避けられないことに安堵して、ロックオンはそのままくしゃりと髪を撫でる。
 
「じゃあな」
 
そう言ったロックオンの手が離れて、彼が歩き出すのを確認してから、刹那はようやく顔を上げた。去っていくロックオンの背中がだんだんと小さくなる。その背中を僅かに意識の霞んだ状態で見つめていると、ずっと先の暗闇の中でロックオンが振り返った。
 
「………っ!」
 
びくっと一度大きく刹那の身体が跳ねた。まさか振り返るとは思わなかった。首や腕や足が凍りついたようになって、俯くことさえできなかった。遠く遠く、もう表情も見えないくらいの位置にいるロックオンは、軽く手を上げて別れの挨拶をした。
 
「―――――ッ」
 
今度は、身体中が沸騰するかと思うほど熱くなった。刹那から見えないのだから、ロックオンからも刹那の表情など見えるはずがないのだが、それでも羞恥を感じて首元に巻いた赤いマフラーを口元まで押し上げて、バタバタとその場から逃げ出した。
 
自分の精一杯の力で階段を駆け上がり―――エレベーターを使えばよかったのに、そのときの刹那はそんな普通の考えすら浮かばないほど混乱していた―――自分の部屋のドアを開け、乱暴に閉めて、ずるずるとそこに座り込んだ。
 
息が切れていた。走ったせいだ。顔が熱かった。それは、走ったせいだけではなかった。冷えた指先を頬に押し当てても、その熱はなかなか去ってはくれなかった。
 
 
 
知らない、知らない知らない、こんなものは、―――知らない。