ファーストキス
 
全く、いい大人が情けない。向けられた感情に、暴走するなんて。
 

 
 
 
 
 
『―――父は死にました、…いいえ、殺されました』
 
モザイクのかかった顔でニュース番組のインタビューに答える女性は、涙を堪えているのか、微かに声を震わせていた。彼女の父は軍人で、ソレスタルビーイングによる武力介入で死んだのだと言う。
 
その日も、最低三回はソレスタルビーイングに関するものが報道されていた。眼前で光る小型のテレビは、その中でもソレスタルビーイングに大きく時間を割いた番組に、たまたまチャンネルが、合っていた。
 
「……………、」
「ロックオン、ロックオン」
 
思わず表情が険しさを増していくのを、ハロの声が止めた。はっとしてその声のほうに顔を向ければ、足元で小さくハロが跳ねていた。
 
そのオレンジの体を二、三度撫でてから立ち上がる。歩き出すとついてこようとするハロを制して、一人で部屋を出た。
 
 
 
 
 
どこへ行こうという明確な考えはなく、適当にプトレマイオス内を少し移動して、宇宙を見渡せる展望スペースへ辿り着いた。丁度そこには誰もいなかったため、丁度いいとそこに留まることにした。
 
殺された、という画面の中の女性の声が蘇り、思わず深い溜息を吐く。戦い始めたときから覚悟していたことだ。痛みはないが、憤りは感じる。いつまでも慣れることはできない。否、慣れてしまってはいけないと思っている。誰かの命が散れば、哀しむ人間が確かにいる。それを身を持って知っていても、止まるつもりはなかった。だからこそ、この感覚は持ち続けなければならないと、思う。…思うのだけれど。この息苦しさを投げ出してしまいたいと思う自分が、確かにいる。
 
「…最悪だ、」
 
その瞬間の二度目の溜息と、扉の開く音と、どちらが早かっただろうか。誰か確かめるために振り返ろうとする前に、声が響いた。
 
「………ロックオン…」
 
その一声で相手が誰かわかって、振り返ることも、返事も、しなかった。彼の声色で、少し戸惑いがちに呟かれた己の名前は、ひどく耳に心地よく響いた。自分を満たしていた黒い塊が、すっと溶けてなくなるような、妙な感覚を覚えた。
 
「ロックオン、」
 
その様子に何かを感じ取ったのか、幾らか穏やかな声で彼は再び紡いだ。呼ぶためではなく、何かを語るように。
 
「…ロックオン、」
 
三度目の声に耐え切れなくなって、後ろを振り返る。いつもと変わらぬ真っ直ぐな瞳で、彼はこちらを見ていた。それが少しだけ恐ろしく、思えた。
 
「刹那」
 
苦笑して名前を呼ぶ。そして当たり前のことのように、自然に彼に手を伸ばしていた。何があったかも知らないくせに慰めようとでもしているのだろうか、彼の頬に触れたゆびさきを、払いのけられることはなかった。表情が変わらないので、嫌かどうかすらわからない。一応、同じ時を共有してきた者として自惚れはあるので、彼にとっての自分がまだ会って間もない人間たちと同列ではないと思いたい。…触れることを、表面上だけでも許されていると。
 
「刹那」
 
確認作業のように名前を呼んだが、彼に己の意思が伝わったかどうかはわからない。恐らく彼は何もわかっていなかったし、わからせる暇も与えなかった。
 
とても強引に、彼を腕の中へ押し込めて、細い身体を折れてしまいそうなほど強く抱き締めた。それでも彼は、何も言わなかった。痛みを訴えるわけでもなく、抵抗するだけでもなく、かといって協力的な態度をとるわけでもなく、ただ静かに、一度大きく息を吐いた。それだけだった。
 
「…おまえ、優しいな」
 
急に、とても馬鹿らしくなって、笑いが込み上げた。こんな子供に何をさせているのだろう、自分は。
 
「ごめんな」
「…何が」
「ありがとう」
「………」
 
答える気がないことを悟ったのか、彼はそれ以上何も言わなかった。
 
「なぁ、…勘違いだったらごめんな」
「………?」
「おまえ、結構俺のこと好きだろ」
 
身体を離して笑みと共に問えば、大きく目を見開いてこちらを見上げた。あまり見られない表情だ。冗談半分の気持ちで言った言葉だったが、無防備なそれに戦わずにいられるこの僅かな時間の平和を垣間見て、思わず笑みが零れる。それに全く気づかず、大真面目に考え込んだ後、彼は言いにくそうに口を開いた。
 
「き、」
「き?」
「…嫌い、ではない」
 
今度は自分が目を見開く番だった。言葉を冗談として受け流すことを知らないらしい。彼は本当に本当に真っ直ぐだ。汚ればかりの中で生きてきたくせに、平凡な十六歳よりも純粋で、それでいて非常に大人びていて、多くを知っている。
 
八歳も年下の少年に好意と尊敬の念を抱くのは、当然ながら初めてだった。
 
「…俺も、おまえのこと嫌いじゃねぇぞ」
 
彼は返事をしなかったが、居心地が悪そうに顔を背け、眉間に皺を寄せた。いい反応だ、と思う。周りの感情に無関心ではない証拠だ。
 
笑いを噛み殺している間に、彼は背を向けて立ち去ろうとしていた。小さな背中が、遠のいて行く。
 
「―――刹那」
 
無意識のままにその背中を追いかけ、呼んで、彼が振り返り、間違えたと思ったときには遅かった。あぁ、もうどうにでもなれ、と彼の後頭部に回した手に ぐ、と力を込める。
 
 
 
一瞬のうちに奪い盗った唇は、思いの外熱かった。