戦いの匂いにも血の色にも、もう近付かなくていいのだと。もう、全て終わったのだと。 それを理解した瞬間、刹那は糸を切られた操り人形のように地に崩れ落ちた。そのとき刹那の身を駆け巡ったのは、喜びと嬉しさと、一筋の戸惑いだった。 刹那は戦いしか知らなかった。戦いのない世界を望みながら、それがどんな世界か知らず、あたたかさを知らず、いつだってその手は武器を握っていた。いつからか人の温もりなどというものは刹那にとって煩わしいものでしかなくなった。刹那に伸ばされるてのひらは、刹那自身が払いのけ、拒絶したのだ。 もとより人と関わることなど皆無に等しかった彼は、ソレスタルビーイングという“組織”に所属してもなお、その態度を改めようとはしなかった。彼に近づくためには噛みつかれても手を引かない、我慢強さと粘り強さが必要だった。 それをいとも簡単にやってのけたのが、ロックオンだった。 誰にでも平等に優しさを与えながら、ロックオンは殊更刹那には見ているほうも暑苦しいくらいに構い倒した。それに刹那が折れるまで、自分からあたたかさに手を伸ばすまで、それほど時間はかからなかった。 刹那の声に、行動に、少しずつ熱が灯っていくのを、周りの誰もが実感していた。その変化を、誰もが嬉しく見守っていた。誰もが、願った。戦いが早く終わるようにと。皆一緒に、平和な世界で生きられるようにと。 そして―――その願いは、叶った。 戦いは終焉を迎え、皆が皆、望む場所へと散っていった。そんな中、ロックオンと刹那は街の喧騒から離れた静かな場所にひっそりと建つ小さな家に二人で住むことを決めた。 「ロックオン、これは、」 「“ニール”だ、刹那」 「………ニ、…ニー、ル」 「おし、それはこっちに運んでくれ」 刹那は“ソラン”を捨てた。逆にロックオンは“ニール”として生きていくことを望んだ。けれど未だに“ニール”と上手く呼べない刹那は度々こうして注意を受ける。微笑ましい平和の一コマである。 「大体終わった、か」 整理されたばかりのリビングの中を満足げに見渡し、ニールが呟いた。二人には大した荷物がなかったので、ほとんどがこれからのために新しく買ったものだ。二人で店を回り廻り、意見を出し合って、時にはぶつかって。そんな中で二人の意見がぴったりと合い、すんなり決まった一品、雪のように純白のソファでは疲れきった刹那が穏やかな寝顔を見せていた。 刹那は程よく筋肉のついた身体をしているが、細身なためそれほど力はない。そのため、家具などの運び込みや配置は全てニールが引き受けたのだった。その仕事をこなしているうちに、いつの間にか刹那は眠りの世界へと旅立っていたのだ。 その様子を柔らかな微笑で眺め、刹那の黒髪を軽く撫でる。そしてニールは刹那を運び、寝かせるためベッドを整えようと二階へと向かおうとした。が。 「…っ」 く、と軽い、けれど確かな力に引き戻される。当然、それは刹那の仕業だった。見れば、閉じていたはずの刹那の瞳は完全に開かれ、しっかりとニールをとらえていた。 「おー起きたか」 「…何時…?」 「三時過ぎくらいだ、夕飯の買い物行かなくちゃな、行けそうか?」 まだ眠りの浅い刹那に少し痛みを覚えながらも、ニールはそれを表に出さず、笑みと共に問うた。その問いに刹那はこくり、と頷くだけして、ふらりと立ち上がった。 街へと続く一本道を歩く二人の間には、何故か沈黙が流れていた。目覚めてからというもの、刹那の様子がどこかおかしい。ニールが話しかけても、どこか苦しげな表情でニールを見返すだけなのだ。 「刹那、どうしたんだ?」 「…いや、なんでもな…」 「なんでもないわけねぇだろ、…話せよ、刹那」 強く、真剣さを滲ませたニールの声に、刹那は少しの間俯くと、勇気を振り絞るように小さく息を吸った。 「夢、を…」 刹那は落とすように呟きながら、戸惑いを表すようにだんだんと歩く速度を落としていった。そしてとうとう立ち止まると、ニールもつられるように足を止めた。 「…夢を、見たんだ」 「夢?」 「人を、撃つ…夢だ」 しかしそれは、夢であって幻ではなかった。過去、現実にあったことを再び見せつけられる悪夢。刹那が確かに引き金を引いてきた証。 「………」 「俺は、本当にいいんだろうか、…こんなふうに、平和の中にいて、」 戦いを終えてから、ずっと心にひっかかっていた想いを、刹那はとうとう吐き出した。自ら命を絶つことを償いだとは思わないけれど、奪ってきた命が味わうことのできない幸福を、果たして自分が受け取っていいのだろうか。…刹那は、迷いはじめていた。今からでもひとりで生きたほうがいいのではないかと。 「そうだな、…俺も、そういうことを考えなかったわけじゃない」 でも、とニールは続けた。 「…俺たちは平和の一部にならなくちゃいけない」 「一、部?」 「そうだ、壊したら壊したままってわけいはいかねぇだろ?」 捕らわれるのではなくて、忘れずに、過去を抱き続ける。そして今度は、創りだす立場に。傷ついた人々と共に。それが償いで、役目だ。まだ、全てが終わったわけではない。 「刹那、…俺と一緒に創ってくれ、これからの未来を」 誰もが笑って暮らせる未来を。自分たちのような存在が必要のない世界を。そんな、夢物語のような、綺麗な居場所を。 「………ッ」 刹那は今にも泣き出しそうな表情でニールを見つめた。そんな刹那を慰めるように、幾分か己のものよりも小さな刹那の手を引いて、ニールはゆっくりとした、穏やかな足取りで歩きはじめた。繋がれたその手を、刹那は緩く握り返した。 もうすぐそこに、街のあたたかな光が迫っていた。 |